まるっとめぐって、いまはあるのは、
言葉であらわせることなどないなぁ、ということ、、かな、、、、。
言葉で、あれや、これを、語ったり、表したりすることは、できる。
でも、それは、ある一部分についての、ある瞬間の、ひかりの当て方で。
ぜんたい、があるところ、ぜんたい、が、あるがままにうつりゆくところに、
それをすべてあらわせる言葉など、変わりゆくものとともに変わりゆいてくれる言葉など、ない。
それを、もう、大きな前提として、
それでも、わかちあいたい泡のようなものがわいたとき、
それをそっと手にとって、空にはなって、みるのか、な、、。
追記 :
それは、ただ、感じることしか、できないのだと、、
そして、わかちあうことができるのは、それぞれが、それぞれに、その場所に触れることによってのみでは、と、、、
そして、それは、場や体験をともにすることによって、つたわっていくことは可能で、
そのほんの、一部分、のようなところを、言葉は、残り香のように、もしくは北極星のように、
それをつたえ、指し示して、くれるのかも、と、思う、、
(だから、こうして、なにかを書いてみよう、と、思うのかな、、
いのちの、しぜんな、衝動として、、、)