こころの領域は、からだのことがおざなりになってしまうことが多いような気がするの。
からだをあたためること、清潔に保つこと、じゅうぶんな栄養をとってあげること、、
からだの領域から、こころによい変化を生み出せることは、たくさん、ある。
そして、同時に、
からだのことを、ただシステムとして、原因の特定と対処、のような、無味乾燥とした対応でどうこうしようとしても、それは砂をつかむようなことだったりするのでは、と思うのだよね、、、、。
そこには、やっぱり、こころ、がひつようになるのだと思う。
だいじょうぶですよ、ちゃんとよくなります、いっしょにやっていきましょうね、
そんな、あたたかさであったり、
そのひとが、そのひとのなかで、
なにかにいのちをすこしでもかがやかせて、それをすこしずつ、そだてていこう、と思えることだったり。
いのちが、呼吸する。
いのちが、その自然な速度で、本来の姿に回復してゆこうとする。
そういうことの、からだやこころのもっと奥にある、ちいさな意思のようなものが、
そのいのちのあゆみ、ゆく先を、導いていくような気がしてる。